釣り人の権利と、安易な批判のズレ
堤防に放置されたフグの死骸を見て、
SNSでは「命がもったいない」「かわいそう」といった感情的な批判が飛び交っている様子をよく見る。
そんな意見を見て毎回思う。本質ずれている阿呆な人たちと。
個々人がそのように感じることは自由であり、尊い感情。
しかし、釣りという行為には、魚の命をどう扱うかという「生殺与奪の権限」が、原則として釣った個人に委ねられる。

リリースする、食用にする、あるいは処理の選択をする、その判断は釣り人自身にある。
このため、単なる「かわいそう」という個人の感傷を根拠に、
他人の行動を一方的に非難したり、処理方法を強要したりすることは、本質的に間違っているのだよ。
こういう人たちは根拠は自分たちの倫理観だけで判断しているのだろう。
法律上は全く問題ないというのに。
で、フグを捨てていいかというとそうではない。
本当に問題にすべきは、そこではないのを理解しなければならない。
議論すべきは「命の倫理」ではなく「環境への責任」
私たちが本当に目を向けるべきは、フグの命の重みや釣り人の心情といった「精神論」ではなく、
フグを堤防に放置することによる「現実的な公害とリスク」だね。
感情的な非難に終始している限り、この問題の解決には繋がらない。
問題の本質は、個人の倫理観の問題を超えた、公共の場と環境に対する責任にある。
放置されたフグがもたらす「毒物」と「悪臭」という実害
フグの放置が引き起こす深刻な問題は、主に以下の二点に集約される。
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悪臭による公衆衛生上の問題: 魚の死骸は腐敗し、強烈な悪臭を放つ。特に気温の高い時期には、その腐敗臭は堤防という公共の場を訪れるすべての人にとって、極めて不快なものとなる。これはレジャーの場としての価値を損ない、公衆衛生上も問題となり得る。
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猛毒テトロドトキシンの残留リスク: フグの体内に含まれる猛毒テトロドトキシンは、非常に強力な神経毒だ。死骸を放置することで、毒素が堤防のコンクリート表面に残存したり、雨水によって海に流れ出たりするリスクが生じる。これは、他の生物や、最悪の場合、人間に予期せぬ害を及ぼす可能性がある。
感情論を捨て、具体的な環境問題として対策が必要
したがって、堤防でフグの放置を見かけた際に批判すべきなのは、「命を粗末にしている」という抽象的な罪状ではない。
批判すべきは、「公共の場に毒物と腐敗の原因を放置し、環境に実害を与えている行為」そのものだ。
そのため、フグを釣り上げた者は、その生命の処理も含めて、
毒物を含む廃棄物を適正に処理する社会的責任を負うべきだ。
個人の感情論に流されることなく、
環境問題として、具体的かつ冷静に対策を要求していくことが重要。
釣り人のゴミ問題と同様に、釣り禁止が広がる恐れがあり、
フグを堤防に放置するのは、やめるようにしようね。
というお話でした。